13note.

なんか調べたりまとめたり感想言ったりする語彙力不足及び眠気と戦うブログ

PSYCHO-PASS1期

前から気になっていたんだけど、何かで挫折して、NetFlixで配信されていることを知ったので再チャレンジ。思ったよりディストピアでした(苦笑)
気になった点としては
  • 絶対的な支配体制の脆弱性(政治組織とか自衛意識がばがばやんな?)
  • 多様性
  • 善悪の境

一つ目は完全に揚げ足取りです…(すみません)

「人の危険性を完全に排除した社会だからセキュリティは不要とし、あらゆる門戸に鍵は不要」
これは多分ウィキにも書いてあったけど…小説版で補足情報がある様子。
シビュラシステム世代特有のシステムに依存した危機意識の欠落というか。
それにしても公共施設の窓口以外へのセキュリティに認証システムもなし、って害のある人間かどうか以前に、関係者か否かの判断すら含まれていないのかーいって思ってしまった。「入る必要のある人間か否か」の判断はつけないと、悪意のあるなしに関わらない間違いでのプライバシーとかどうすんだ…。

「海外からの食糧自給を絶った国内の食料問題を解決するハイパーオーツによる完全オートメーションでの農産物作成と単一食料提供」
完全自動制御での農作物生産が、種として発生しうる偶発的な危機(病気とか天災とか)まで完全管理されている…という事なのかな。単一の種類にのみ依存した状況を安定と表現していることに違和感を感じてしまった。分散型システムとかフォールトトレラントとか、単一の存在に全てを負担させることへの危惧を、コンピュータの分野では(単純な不可分散の面もあるのかもしれないけど)表現しているのに…突然食料の問題にはその観点が安っぽくなったなあなどと…。


多様性については…攻殻機動隊でも似たような話無かったっけ…。

免罪体質を取り込むことで能力を向上させるというシビュラシステムの構想は、「社会に完全で完璧なものなどは無く、物事は常に不測の事態が発生し、それを取り込み対応していくイレギュラーへの対応が可能な柔軟さが生まれていく必要性がある」という多様性の必要性を認識しているのに、それを国民には適応せず、穏やかで「問題」を発生させえない一定ラインの人間のみしか社会の構成員として認めない、というのは、何だか本当に『家畜』なんだなあと思った。


 善悪の境

支配を受けている、というのは束縛であると同時に保護であり多数の利益を享受している環境でもある。(少なくとも、誰に対してもメリットの無い暴政でなければ…)
特に、日本人は指導者を求める傾向がある…と思うから、「もしも誰かがやってくれるならやって欲しい」という感覚は否めない。と思う。なので、シビュラシステム(とか他のゲームなどに良くあるような社会基盤AIシステム)による統制が明るみに出たとしても、それを悪だと言い切れるかというと分からない。それを凌駕する安全と平穏を日々餌付けされてるわけだし。その恩恵に預かっていない人間のみがとやかく言う権利がある…。そもそも善悪明瞭な世界とは?
倫理観の統一ってある程度までは出来ても特殊なケースなんていくらでもある。
それを判断するのも結局人間で、そのための裁判制度がある…のではなかったのか。
まああの世界だと官僚全体がシビュラシステムにのっとられているような感じらしいから…分からないけど。



本当は多分、色々な哲学や社会学を学ぶと、シナリオの違和感とかは解決できるのかもしれない。
でも、やっぱり全体を通して、あまりに前世紀の人間がAIに全幅の信頼を寄せすぎ感があった。
そういえば、アニメ放送から何年もたったけど、実際にAIが「人間的知性」とか「思考する力」を得始めていて、どこかの国がその実験をしていたら、AI同士がAI同士にしか分からない言語で会話を始めた、とか、人間に対して批判的な思想を口にした、とかいう話があった。それに対して人がとった行動は、実験を中止するという物理的なもの。進化をとめる方法は「殺す」しかなかったのか、と思うし、多分生かすにしても人の思想をそのAIに植えつける必要がある。それって、結局人間的教育を受けた人間と何が違うんだろう。
あと法を犯すこと、守ることの意味としては、全体の総意として「守ろうとする力」を前提としたものが「法」なんだと思う。だから人を法が守るのではなく、人が法を守るのはそうだねと。人は人同士でしか守れない。そこに介在するのは自分と他人とそれぞれの思想なんよねって。